猛毒のトリ子

猛毒のトリ子

 

 大川弘平は西島拓弥と殺人の最終打ち合わせをした帰り道、真っ暗な商店街で赤いランドセルを背負ったロングヘアーの少女を拾った。文字通り、落ちていたから拾った。交番へ届けるだとか、ネコババして自分のものにしようだとか、そんなことを考える前の話だ。大川は、ただただ拾った。道端に転がっていた煙草の吸殻を気まぐれに手に取るように、殆ど無意識に抱きかかえたのだった。そしてやっと、この少女をどうしようかと考えた矢先、彼女は自らをトリ子だと名乗った。まだ膨らんでもいない胸には名札が付けられていて、そこには全く別の名前が書かれていたが、大川は気にしなかった。

 「トリ子ちゃん。」

 と、大川は言った。まだその先の言葉は思いついていなかった。彼女を抱きかかえたまま左腕の時計にちらりと目を落とした。時刻は深夜一時を過ぎた所だった。四時間後、日が昇る頃には西島を車で迎えに行かなければならない。大川は拾ったことをやや後悔した。少し先には自動販売機があり、そこには空き缶のダストボックスがある。しかし大川はそこに吸殻を捨てたりしない、妙に几帳面な所があった。あるべき場所に、あるべきものをしまう。母親の教育だった。この少女も同様に、きちんとした場所にしまいたい。しかし、大川は交番には行きたくなかった。綿密に計画を立ててきたのだ。あまりイレギュラーは起こしたくなかった。何より、少女を抱きかかえているこの現状がもうすでに危うい。大川はやっとそれに気づき、彼女をそっと地面に下ろした。彼女はしっかりと立ち、大川の顔をじっと見つめた。落ちていたときはまるで人形のようだったのに、こうしてみるとどこまでも艶めかしく、呼吸をしている生きた人間だった。

 「迷子なの。」

 と、彼女は言った。明らかに迷子ではなかった。彼女の眼には、何か探している場所や人があり、それを求めているときのような浮ついた挙動は一切なかった。まるで出来の悪い戯曲の、物語を進めるために必要だからという理由で書かれた台詞のように聞こえた。登場人物の心情に根拠はなく、作者の都合で説明されるうわ言のような台詞。大川は頭痛を覚えた。これから始まる茶番劇に、嫌気が差したのだ。

 「迷子。」

 「そう。」

 「お父さんか、お母さんは。」

 「はぐれちゃったの。」

 「そっか。じゃあ、一緒に探そう。どこに行く予定だったの。」

 「わからない。」

 「こんな時間に、どうして外に。」

 「今日が初めて。眠くなったから、横になっていたの。」

彼女は自分が落ちていた場所を指さした。

 「とりあえず、僕の家に来るかい。」

 「うん。」

 そしてトリ子は大川の家に来た。何を話すでもなく、ひたすら眠った。それから四時間後、大川の車に一緒に乗せて西島を迎えに行った。そして山口聡美を殺害して、彼女の死体をトランクに詰めた。助手席でリコーダーを吹くトリ子を見ていると、どこまでも現実感が損なわれていって、まるでふざけた夢の中で大真面目に夢を見ているような気分になった。

 「それは、なんて言う曲。」

 と大川は尋ねた。

 「知らない。生まれる前、お母さんのお腹の中に居る頃、良く聞いた。」

 と彼女は言った。

 大川は馬鹿馬鹿しいと思ったが、彼女くらいの年齢ならばあるいは、とも思った。西島は寝袋に包まれたまま、口から溢れ出る血をゴボゴボ言わせながら、何かを言った。大川は応えた。

 「そんなに怒るなよ。お前を殺すのも、僕の計画のうちだったんだ。唯一のイレギュラーは、彼女が僕の横にいることだよ。」

 西島は聞いたか聞いてないかわからないまま、息絶えた。

 このままトリ子を乗せて神奈川県まで車を走らせる。そこで花岡組の連中と落ち合う予定だ。いつになったらこの夢は覚めるのだろうと、大川は思った。トリ子は笑った。

 「あはは。」

 なんて素敵な笑顔なのだろうと、大川は思った。この天使のような笑顔を、いつまでも見守っていたいと思った。大川は左手をハンドルから離し、トリ子を撫でて話しかけた。

 「トリ子。」

 「なあに。」

 「君はもしかすると、僕の運命の人なのかもしれない。」

 「おいおい。おっさん。」

 トリ子は冷たく言い放った。

 「ロリコンかよ。ロリコンはちょっと勘弁だわ。悪いけど、下ろしてくれる。」

 大川はトリ子を下ろした。

 そのあとなんだかんだあって花岡組の若頭の木田とか言う男に撃たれて死んだらしかった。三つの死体がどうなったかは知らない。撃たれて死んだというのも、そんな気がするというだけのことらしかった。

 

 以上が、僕が昨夜、トリ子から聞いた話だ。

 

 よりによって妙な女の子を拾ってしまったものだと、僕は煙草に火をつけた。

 

(続く)